2026年4月再訪。
滋賀県栗東市安養寺。
JR草津線・手原駅から徒歩10分ほど。日常の喧騒から少しだけ距離を置いた場所に、ひそかに佇むフランス料理店があります。
その名は、La Libellule──ラ・リベリュール。
フランス語で「トンボ」を意味するこの店名には、幸福を願うモチーフ、そして前へと進む縁起の良い存在という想いが込められています。
店内は、わずか6席のカウンターと、掘りごたつ席を備えた小さな空間です。
決して大きなお店ではありません。けれど、その小ささが、料理人の目線、空気の温度、そして一皿ごとの余韻を、より濃密なものにしてくれます。
予約は電話で行います。
席数が限られているため、予約が埋まっていることもしばしばあります。訪問を考える際は、候補日を複数用意して電話をされると安心です。
今回のランチは、魚料理と肉料理の両方を楽しめる「お昼のおまかせコース」税込7,260円。昼の時間に、本格的なフレンチをしっかりと堪能できる内容です。
デザートと珈琲・紅茶を含む全9品の中から、特に心に残った3品をご紹介します。
1. 人参のムース 柑橘ジュレのせ

まず心をつかまれたのが、人参のムースです。
クリーミーでなめらかなムースに、甘酸っぱい柑橘のジュレが重なります。
その瞬間、味覚が静かに目を覚ますような感覚があります。
普段の食事ではなかなか体験できない、繊細で華やかな味わいです。
まるで味覚が、日常から非日常へと静かに連れ出されるような感覚です。
「ああ、今日は特別な時間が始まったのだ」と、──そう思わせてくれる、コースの幕開けにふさわしい一皿でした。
2. ホタテのガーリックバター焼き

これはもう、静かな衝撃です。
香ばしく焼かれた小ぶりなホタテに、ガーリックバターの豊かな香りが重なり、口の中で旨みが一気に広がります。
あえて親しみやすく表現するなら、サイゼリヤの「ムール貝のガーリック焼き」を思い起こさせる方向性があります。
けれど、ここで展開されるのは、そのはるか先にある大人の味わいです。
違いは、余韻です。
そして、ワインとの距離感です。
料理が単体で完結するのではなく、グラスの中の一杯と出会うことで、さらに奥行きを増していきます。
手元には、ソムリエセレクトのオレンジワイン。
ガーリックの香り、ホタテの甘み、バターのコク、そしてワインの複雑なニュアンス。
それらが重なった瞬間、テーブルの上に小さな祝祭が生まれます。
これは、ただのガーリックバター焼きではありません。
ワインと出会うために設計された、非常に幸福な一皿です。
3. 鱧のソテー ポルチーニソースとトリュフ

そして、今回のコースで最も深く心に残ったのが、鱧のソテーでした。
鱧という繊細な魚に、香り高いポルチーニソース。
そこへ、ビネガーの効いた焼き茄子が寄り添います。
さらに、トリュフの香りが静かに立ち上がる。
この一皿は、要素を分解して味わう料理ではありません。
鱧、ソース、焼き茄子、トリュフ。
すべてを一緒に口へ運び、ゆっくりと咀嚼することで、初めて完成する料理です。
噛むほどに、味が立ち上がる。
香りが広がる。
酸味が輪郭をつくる。
旨みが静かに沈んでいく。
そして、そこにワインを合わせた瞬間、時間の流れが少しだけ変わります。
幸福とは、何か大げさなものではなく、こういう瞬間のことを言うのかもしれません。
一皿と一杯が出会い、食べ手の記憶の中に、静かに残っていく。
その余韻こそが、ラ・リベリュールの真骨頂です。
そして、ラ・リベリュールを語るうえで忘れてはならないのが、ドリンクの存在です。
ソムリエであるシェフの奥様により、フランスを中心としたボトルワイン、グラスワイン、シャンパーニュに加え、ノンアルコールアペリティフ、宇治茶、果実ジュースまで幅広く揃えられています。
アルコールを楽しむ方も、そうでない方も、それぞれのスタイルで料理とのペアリングを楽しめる。
この懐の深さも、ラ・リベリュールの大きな魅力です。
ただし、今回は日曜日の訪問。
お子様の保育園のご都合もあり、奥様はご不在でした。ペアリングのワインを選ぶ時間を楽しみにしていた私としては、次回はその点も踏まえて訪問したいところです。
ラ・リベリュールは、ただ食事をする場所ではありません。
素材と真摯に向き合うシェフの誠実さ。
小さな店内に流れる、静かで温かな空気。
そして、料理を通じて、大切な人と過ごす時間の価値を思い出させてくれる場所です。
忙しい日々の中で、私たちはつい、食事を「済ませるもの」として扱ってしまいます。
けれど、この店に来ると、食事とは本来、時間を味わう行為なのだと気づかされます。
栗東で、少し背筋が伸びるフレンチを。
けれど、決して肩肘を張りすぎない幸福な時間を。
ラ・リベリュールの一皿の先にあるのは、満腹感だけではありません。
記憶に残る体験。
また訪れたくなる余韻。
そして、日常へ戻ったあとにも、ふと心を温めてくれる小さな光です。


